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「それでも私は」ロゴ横

社会は彼女の人生を
​許さなかった

「父の名は、松本智津夫。」

“麻原彰晃の娘”として生きることを強いられた彼女の41年

「それでも私は」トップ画像
「それでも私は」背景1

映画『それでも私は Though I'm his daughter』公式HP

監督・プロデューサー:長塚洋

撮影:長塚洋・木村浩之 編集:竹内由貴 整音:西島拓哉

アニメーション:竹原結 音楽:上畑正和

特別協力:「それでも私は」上映委員会 配給協力:きろくびと

制作・配給 : Yo-Pro   2025年|日本|カラー|119分

614日(土)より
​K's cinema にてロードショー!
「それでも私は」受賞画像
ほか全国順次
75(土)より横浜シネマリン にて上映決定
  • X

<最新情報をXにて更新中>

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※ムビチケ利用での座席指定は、「ネットで座席指定する」「映画館で座席指定する」の2種類があり、ご利用いただける映画館が異なりますのでご注意ください。対応映画館についてはこちらをご確認ください。

​イントロダクション

娘なことは、罪ですか?

1995年3月、日本を震撼させた地下鉄サリン事件。その首謀者の娘として生まれた松本麗華(まつもと・りか)は父親が逮捕された当時12歳。以来、どこに行っても父の名、事件の記憶、そして「お前はどう償うのか?」という問いがつきまとってきた。

 

「虫も殺すな」と説いたはずの教団の信徒たちが起こした数々の凶行に衝撃を受け、父親が裁判途中で言動に異常を来したために、彼がそれら犯罪を命じたこともまだ受け入れ切れない。死刑の前に治療して事実を話させて欲しいとの彼女の願いに識者らも賛同し、真相を求め続けるが、間もなく突然の死刑執行。麗華は社会が父親の死を望んだと感じ、極度の悲しみと絶望のうちに生きることになる。それでも人並みの生活を営もうとするが、定職に就くことや銀行口座を作ることさえ拒まれる。国は麗華に対して教団の「幹部認定」をいまだに取り消さず、裁判所に不当を訴えても棄却されてしまう――。

「それでも私は」場面写真1
「それでも私は」場面写真2
「それでも私は」場面写真3
「それでも私は」場面写真4
「それでも私は」場面写真5
「それでも私は」場面写真6
コメント

​コメント

彼女はとても脆い。そして圧倒的に強い。どちらかではない。どちらもある。つらいはずだ。嗚咽が聞こえる。吐息を感じる。でも彼女は前に進む。決して誇張ではなく、観ながら呼吸がうまくできなくなる。彼女がこれまで過ごした時間、現在、そしてこれからを思う。多くの人に観てほしい。多くの人は観るべきだ。

森 達也(映画監督・作家)

ただ1人の娘として、女性として生きたかっただろう。仕事をして恋をして、友達と笑い合う。そんな当たり前の人生を奪われ、喪失と向き合い続けるのは被害者や被害者の家族だけではない。

浜田 敬子(ジャーナリスト)

彼女がなにした?

村本 大輔(ウーマンラッシュアワー)

「麻原の娘」として生まれ、「アーチャリー」として全国に存在を知られる。
生まれてくる環境など誰も選べないのに、彼女の人生はあまりにも苦難に満ちている。
それでも、前を向いて生きる麗華さんの姿に、背筋が伸びる思いがした。

雨宮 処凛(作家・反貧困活動家)

ぼくには想像を絶する、
いつ終わるともしれぬ状況にいる彼女が
それでも懸命に生きている。
生きようとしている。
応援したい。と思った。

田原 総一朗(ジャーナリスト)

加害者ではない「娘」が「赦しの言葉を口にしない」姿が、わたしの頭からずっと消えない。その選択がどれほど困難な道を歩ませるのか、彼女自身が知っていることに言葉を失いそうになりながら、祈るような気持ちにもなる。

傷ついた人がいるから彼女は言葉を選ぶ。この作品を見て、傷ついている彼女を知った人は、この先やっぱり言葉を選ぶだろう。

わたしたちは誰しも平等に「生まれてくる親を選べない」。司法では存在しないはずの罰を受け続け、言葉を、人権を奪われている「彼女」は「わたし」だったかもしれないのだ。

青山ゆみこ(編集・ライター)

ラインで「死にたい」という麗華さん。私は、友人として「生きてほしい」と思い必死に声をかけ続けた。

「学校に通えないこどもがいる」と聞いたら、おかしいと、ほとんどの人が思う。でも、オウムの教祖の娘だとそれが正当化されてしまう。普通だと「差別」になることがまかり通ってしまう。彼女の世界ではそれが当たり前だった。

この映画で、そんな彼女の世界を多くの人に知ってほしい。そして彼女への差別が少しでもましになることを願います。

たかまつ なな(社会起業家・笑下村塾代表)

言葉を選ぶ目元から伝わる悲しみ。穏やかに語る口元。そのギャップに胸が苦しくなる。12歳の頃からずっと、彼女の”生”は国や社会から拒絶されてきた。優しさを失わないために、何度、自分を殺したのだろうか。

春名 風花(女優・声優・アイドル)

身内を殺された事件で死刑は当然と考えた私だが、映画では麗華さんに「お詫び」はしてほしくないと感じた。家族に責任を負わせるのは違う。
被害者側と同じく加害者側も、事件を心に抱え苦しみ続ける。それでも必死で生きる姿を、本作でみてほしい。

尾崎秀行(堺市連続強殺事件の被害者遺族)

「冒頭から抱いた緊張感は最後まで途切れなかった。」
事柄は違えど自分自身の過去の体験ともどこか重なり、複雑な感情を抱きながら観させていただきました。
様々な想いが写し出されるたび、映像から生々しい心音が伝わってくるようで。
遺恨を抱えながらも乗り越えようと懸命に生きる姿に深く心を動かされるとともに勇気づけられもする作品でした。

和歌山カレー事件 林眞須美 長男

© Yo-pro

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